白鷹町鮎貝集落の北西側になるでしょうか、山手のほうに第16番札所の鮎貝観音はありました。
 道路から石段を上っていくようになっており、上り口には三十三観音があることを示す赤い幟旗、御朱印所がある場所を示す立看板、そして町の教育委員会が立てた「鮎貝観音堂」の説明版がありました。
 説明版の記載事項は次のとおり。

鮎貝観音堂
 古くは田尻境の飯詰台にあったものを、元禄年中に大町の四郎兵衛がこの地に移したと伝えられる。
 本尊は聖観音で、長い間天台宗泉蔵院が別当を務めた。
 置賜三十三観音の第16番札所で、多くの人々が参拝に訪れる。

 その石段を上っていった先は小高い丘のようになっていて、左側には庚申塔などがいくつか並んでおり、その奥はどこかの寺の墓地になっていました。お堂のつくりは、先に行った芦沢などと似たようなつくりと大きさです。

 ウェブ上の某ページを参考にすると、伝承では1696(元禄9)年、管四郎兵衛という者が現在地に移築。
 本尊の聖観世音菩薩像は古来より秘仏となっているが、言い伝えによれば、鮎貝駅の南側にある水田から発見された黄金の像であるとされている。
 御利益は家内安全、身体堅固。

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 置賜の通算19カ所めは、長井市芦沢。
 持っているパンフレットには2つの住所があり到着まで少し迷ったものの、着いてしまえばああここかと。伊佐沢からさらに東の奥に入った芦沢集落のどんづまりにありました。

 昔、下伊佐沢の松川渡船場近くに、宮中儀式の設営を担当する役をもつ「志釜家」があり、その屋敷内に祀られていたものが現在の地に移築されたといわれています。
 1723(享保8)年に、老朽化の進んだお堂が地区の有志によって全面改装され、現在の朱塗りの観音堂が完成したとのこと。その後も改修されてか、屋根なども新しい感じでした。
 本尊は秘仏とされており、代わりに奉納された十一面観音を拝することができます。鍵の掛けられた入り口には懐中電灯が置かれ、それで顔を拝むことができる趣向でした。

 石段脇にあった「芦沢観音の杉」はかなり立派な巨木。長井市指定天然記念物となっています。



 高玉芝居の里にある観音堂。赴いたときは、例年より桜の開花が早かったこの年にしては遅咲きの桜が満開でした。
 高玉観音は、7世紀末の作とされる県内最古の金銅仏の一つで、県指定文化財となっています。
 以下に、県教委と白鷹町教委が立てた「銅造観音菩薩立像」の案内板を引用。

 フラワー長井線蚕桑駅より20分程北に向かって歩いたところに真言宗円福寺がある。
 この寺には戦前まで秘仏として公開されなかった銅造の観音菩薩立像がある。
 戦後人の目に触れてから初めて注目されるようになり、特に昭和62年3月、東京国立博物館で開催された「特別展金銅仏」に出陳、全国的に紹介されたのを機に、その像が持つ文化財的価値が殊のほか高く評価されるようになった。
 銅造観音菩薩立像は、象高29.4センチで、製造年代は7世紀末の白鳳時代と推定されている。特色をあげれば、まず、腹部正面に装飾的に配した帯の結び目が注目される。本体は、頂部から蓮肉下底の円柱形の枘(ほぞ)まで一鋳し、ムクである。蓮肉部には光背用の枘穴をうがっている。頭飾の縁、冠帯、胸飾、瓔珞(ようらく)、衣文の稜や衣縁は、特殊鏨(たがね)で細かく複連点文を打って装飾している。
 本体・台座とも鋳あがりは良好であるが、火災にあっているためか右手先を欠き、鍍金(めっき)も認められず、像の腰から上の表面、特に顔面部が荒れて当初の尊容を損じているのが惜しまれる。
 蓮弁・子弁の縁に複連点文があり、本体と同時の作と考えられる。
 なお、本像に関する由来は不明である。

 796(延暦15)年、坂上田村麻呂が奥羽征伐の際に戦争記念として創建したと伝えられ、天文から永禄年間には高玉城の守護寺であったとも言われている寺のようです。



 今春2か所め、通算17カ所めの置賜三十三観音は、米沢市浅川にある「戸塚山観音」。置賜駅の近くで、行ってみると、米沢ラーメンの名店「中華そばひらま」のすぐ近くだったのですね。

 泉養院の本堂は下の平場にあり、観音堂だけが、段の高さが高低ばらばらな18段の急な石段を上った先にありました。
 本尊は、木造の聖観世音菩薩坐像で、大同元年、徳一上人の作像と伝えられています。

 泉養院の近くには、「戸塚山館跡」がありました。
 当地は置賜地方を起点とした仏教発祥の地として栄えた所と推測され、代々から霊験あらたかな山と尊ばれてきたようです。

 2018年の春がこの地にもやってきたので、昨年からやっている最上と置賜の三十三観音めぐりを再開。その第1弾は、置賜23番札所の川井観音です。
 米沢市の川井集落の中央付近。この地に入るのは7年ほど前に米沢ラーメンの名店「幸来軒」と「川井食堂」を訪れて以来となります。



 行ってみると、ご覧のとおり仁王門?の屋根の下には除雪機が置かれ、観音堂にはオレンジ色のシートが巻かれており、冬はようやく去って春の準備はこれからだという様子。うーむ、巡り始めるにはまだちょっぴり早過ぎたでしょうか。
 ささっと眺めて、地内にあった看板等を移記して茶を濁しましょう。

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 まずはここ「桃源院」の縁起について。
 『鬼庭左月(おにわさげつ)は源平時代の勇士、斎藤別当実盛(さねもり)の末裔で、伊達晴宗、輝宗、独眼竜政宗の三代に股肱の臣として仕えた評定衆の筆頭であります。
 名は良直、通称周防、左月斎はその号です。
 桃源院は、天文13年(1544)、左月斎良直公により現在地に創建され、山号を和合山(のち和光山)と称し、開山は梓山松林寺3世一華宗甫大和尚であります。
 その後独眼竜政宗が仙台に移封されるとともに、桃源院も宮城県志田郡松山町千石本丸(現在、宮城県大崎市松山千石本丸)に移ることとなりました。
 川井村桃源院は、当地に残った人達によって再興されたもので、曹洞宗寺院の命脈である法系は瞬時も絶えることなく、連綿として引き継がれています。
 当院に於いては、左月斎の法名自光院殿剣外参心大居士の尊霊を祀り、報恩供養を日々怠りなく修するよう口伝されています。(宮城県図書館蔵・茂庭氏公式記録)』

 良直は、伊達政宗が佐竹・葦名氏らの連合軍と戦った「人取橋の戦い」で、高齢でありながら崩れかけた伊達勢を支えて奮戦し、自身は討ち死にしました。
 その後、鬼庭氏は、豊臣秀吉から「茂庭」の姓を受け、また伊達氏が宮城県岩出山、仙台と移ったことにより鬼庭氏もそれに従いました。
 桃源院も、茂庭氏の采地の宮城県大崎市松山に移りましたが、この地の桃源院は残った人たちにより再興され引き継がれます。

 次に、本尊の「羽黒本地身代り聖観世音」の縁起について。
 『鬼庭左月良直公の始祖 斎藤実良は、下野那須に居住していたが、茂庭村屶振(なたぶり)の文五郎より、信達(しんたつ)、余目、十八郷民に難をする大蛇の話を聞き、これを退治することになり、人身御供に家臣 紺野図書の妹 さる姫をたてるのである。
 母は姫の安泰を念じて聖観音像を贈ったが、加護の霊験あらたかに大蛇退治もでき、さる姫の身も無事であった。
 姫は一度は仏に捧げた身であるとして、茂庭村地蔵岩の西北に一宇を建てて観音像を祀り、自分は尼僧となって観音様にお仕えして生涯を送ったという。
 後に左月公が先祖の菩提を弔うため、川井の地に桃源院を創建されるにあたり、観音堂もともに移されたものと思われる。
 現在は身代り観音、置賜23番札所として十方の信心を多く集めている。』

 本尊は、伝説によれば、百姓が川底に光るものを見た日の夜、夢枕に仏様が現れてお告げを受け、その木を川から探し出して三体の仏像をつくり、根元でつくった仏像を羽黒神社に納めたといわれています。


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 ネットで注文していたモバイルパソコンが届きました。NEC・LAVIEの2018年春モデルです(PCNM150KAG)。

 パソコンは2台持っており、ひとつはデスクトップのハイパフォーマンス型で、これを手に入れたのは2012年1月。もう6年以上前か。がんばっているなあ。
 一度調子が悪くなり、OSを再インストールした経過があるものの、その後は問題なく、自分にとっての主力機器になっています。
 もうひとつは、2015年4月、単身赴任のアパートで使うために買った、ある程度機能が充実しているノート型。しかし、ディスプレイが15.6インチと大きく、持ち運びには不便。このところ旅に出るときはこれを強引にキャリーバッグに突っ込んで、飛行機に乗る際も手荷物として持ち込んでいましたが、あまり機動的とはいえません。そんなことで今は明確な用途がなく、非常用的なものになっています。

 そこで、買うことにしたのがモバイルパソコン。機能はほどほどでいいから持ち運びだけは便利なものをと、A4サイズ以下の大きさのものから選びました。いやはや、小さい。
 新モデルなのに9万円以下で買えたのはまあまあよかったと思う。
 日常的な書き物のほか、GWには八重山旅を計画しており、現場での情報収集や旅のログ付けに活かそうと考えています。

 まずはセットアップ。このパソコンは無線LANのみ対応。自宅は有線LANしかないので、息子が使っていた無線LANのルーターを間にかませてネットに接続。
 しかしまだ、これまで使ってきたメールアドレスでのメール受信がうまくいかず、CDドライバが付いていないのでホームページや画像処理ソフトのインストールができない状態です。
 これらについては、どうするかの検討も含めて、おいおい進めていくということで。

 振り返ると、3年に1回ぐらいずつパソコンを買っていることになるのだな。