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 今年は台風の上陸、通過が多い年になっていますが、24号と25号の合間の週末に晴れた日があったので、久しぶりに巡礼を復活させてみました。

 置賜巡りの33か所めは、飯豊町萩生の「萩生観音」。
 萩生集落の西の山手のほうにあり、比較的シンプルで特徴のない観音堂がぽつりと建っていました。

 寺の開基は建保3(1215)年で、越後の実義僧都によると伝えられています。当時は長手山の斜面に建てられていたため「長手観音」とも呼ばれましたが、その後現在の地に移築されたそうです。
 観音堂には「長手拾壱面観音堂」の名板が掲げられていましたが、本尊は木造の十一面観世音菩薩坐像。昔から災難除けに御利益があるといわれ、戦時中は兵士が銃弾を受けないように願をかけたそうです。
 堂内にはLEDと思われる白色が灯っており誰かいるのか思いましたが、どうやら常時灯のよう。古いお堂にLEDのミスマッチがユニークでした。

 置賜三十三観音めぐりは残すところ第28番の宮崎観音(南陽市)のみとなりました。

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 「置賜」のほうは大詰めを迎えていますが、同時に巡り始めた「最上」は山形市近郊のいくつかが積み残しになっています。今回はその一つ、山辺町三河尻の「三河村(観音山常福寺)」へと赴きました。山辺町は縁あってわりと頻繁に行きますが、須川近くの三河尻の集落に入るのは初めてとなります。これも霊場巡りの一効果。

 駐車場のところにあった山辺町観光協会の説明書きを以下に引用。

第13番札所 三河村観音
 三河村観音は最上三十三観音第13番札所である。
 本尊は、聖観音で秘仏であるが、行基菩薩が第1番若松観音の聖観音と同一の杉で一刀三拝の礼で彫ったという。
 その御詠歌は「いづ入るや 月のゆくへも 三河村 鐘のひびきに 明くるしののめ」と諸行無常の心を詠じ、生死の常ならないことを月の行方にたとえ、108の煩悩の夢を覚まし、極楽浄土に辿り着く様を「明くるしののめ」と表現している。
 お堂は須川河岸に船を止めて上陸した巡礼の人々と少しでも早く対面しようと船着場の方向を向き南面しており、いかにも須川の河岸にある観音にふさわしい。
 境内には病魔に斃れ息を引き取った翁が日頃信仰していた三河村聖観音のお告げにより再び生き返ることができ、そのお礼として奉納した延命石灯篭がある。

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 別当寺である常福寺は、享保年間に火災にあったために古い時代の什器、記録等一切を失ってしまったので、詳しい来歴や由緒が解らないのだそうです。



 南陽市漆山の新山観音。
 ここは観音堂よりも寺が立派。寺へと通じる石段の脇にあった南陽市教育委員会の看板には、その寺の由来が次のとおり記されていました。

鶴布山珍蔵寺(かくふざんちんぞうじ)
 鶴布山珍蔵寺(曹洞宗)は、寛正元年(1460年:室町時代)、極堂宗三和尚(輪王寺2世)による開山と伝えられています。
 開山縁起は、文化元年(1804年:江戸時代)につくられた古文書の「鶴城地名選」(この地方の神社・寺・地理について記したもの)中の「鶴の恩返し」の話に記されております。また寺の名前のうち「鶴布」は鶴が恩返しに羽で織った布に、そして「珍蔵」は鶴を助けた民話の主人公の名前に由来していることも書かれております。
 この地域には古くから民話「鶴の恩返し」が語り伝えられており、鶴巻田、織機川など民話を思い起こさせる地名も残されております。
 また、昭和59年(1984年)には「鶴の恩返し」の話を刻んだ梵鐘が、地域の人々の熱意により奉納されました。
 現在の寺は、火災の後、文化4年(1807年:江戸時代)に再建されたものです。

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 一方の観音堂。こちらは珍蔵寺の境内からさらに石段を上って行ったところに独立して建っていました。
 観音堂の創建については、明和7年(1770)に多勢吉兵エという者が美しい景観に魅せられてこの地に建立したと伝えられているとのこと。
 一対の赤仁王を安置した重厚な構えの山門には大きなわらじが掲げられ、足の病に御利益があると信仰を集めています。
 観音堂に向かう途中の高みからは置賜盆地が一望できます。その昔、上杉家代々の領主がここから領地の検分をしたという言い伝えがあるそうです。



 盆を過ぎた8月のある日、置賜の31か所め、白鷹町畔藤にある杉沢観音を見てきました。
 R287から東の山手のほうに入ったところにありました。このあたりを畔藤というのですね。県道3号米沢南陽白鷹線のどんづまりです。

 立派な山門。嘉永年間(1848~54年)に建立されたもので、一対の赤仁王が鎮座します。白鷹町の9つの札所中で仁王門があるのはここだけとのこと。
 掲げられたわらじは2mもありそうな見事なもので、10年に一度奉納があるそうです。

 境内には数多くの石碑・石仏があり、信仰の深さが伺われます。
 以下に、その一角にあった杉沢観音堂建設委員会が立てた「趣意書」の看板から引用。

 当杉沢観音堂は今から1207年前大同5年(801)、偉大なる豪者によって飛騨匠の作堂として建立されたと伝えられており、観音堂の土地は中村伊兵衛氏によって寄進されたものです。
 旧本尊は、奈良の高僧行基作と伝えられているが、明治39年の火災で損傷したため昭和27年長井市出身の彫刻家長沼孝三氏が作像した観世音立像をまつっております。
 山門前に一対の赤仁王が安置され、平成12年に地元の協力により大わらじが奉納されました。
 この度、地元民の宿願であった観音堂の屋根葺替工事を百年ぶりに茅屋根を解体し銅板に改築し、百年の未来へ杉沢観音堂の偉容を残す運びとなりました。(完成 平成18年7月)

 さあ、置賜三十三観音も残すところあと3カ所となりました。

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 車で旅に出るときに、何日か車中泊してみるのも楽しそうだし、なにしろ経済的でよさそうだ。
 モバイルアイテムを携行し、日帰り温泉などで入浴して、長旅になればコインランドリーで洗濯なんかをしながら進んでいくのもいいのではないか。そんなことを実現できる日々が、そう遠くない未来には待っている。
 ではまず、道具を少しそろえてみようか。

 ということで、楽天市場で車中泊用品をまとめ買いしました。
 カーインバーター、小さなクーラーボックス、カーウインドウ用の虫よけネット2枚組、ゆったりサイズのキャンピングマット。ついでにフロントガラス用のサンシェードも。

 くふふ、これでだいたい揃ったかな。なんだか予行演習をしたくなってきました。

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canon eos m6

 長男から、「CANON EOS M6 ダブルズームキット」をプレゼントされた。誕生日だから、というのだが、ずいぶん値の張るものではないか。彼なりに奮発したのだろうな。

 デジカメ一眼については詳しくないのだが、キャノンによれば、約2,420万画素APS-CサイズのCMOSセンサーや映像エンジン「DIGIC7」を搭載したミラーレスカメラ。
 独自の「デュアルピクセルCMOS AF」を搭載し、AF・AE(自動露出制御)追従で最高約7.0コマ/秒、AF固定で最高約9.0コマ/秒の連写ができる。
 標準ズームレンズ「EF‐M15‐45mm F3.5‐6.3 IS STM」と望遠ズームレンズ「EF‐M55‐200mm F4.5‐6.3 IS STM」が付属。
 ――とのことだが、正直よくわからないというのが本音。

 デジタル一眼についてはこれまで2度ほど使っていたことがあった。だが、きれいに撮れるものの、少ない荷物で旅に出ることを信条とする人間にとっては持ち運びに不便なので、ボティ、レンズごと次男にくれてやったり、中古カメラとして処分したりしてきた過去がある。

 今度のは、何年ぶりかで手にする本格モノであり、ミラーレスである。
 ミラーレスの特長は、本格的なのに軽量、コンパクトで、ファインダーを覗かなくてもいいこと。反面、液晶モニターを使うのでバッテリーの持ちがよくないというデメリットがあるという。
 軽くて小さめなのは自分に合っているので、わりと気軽に持ち歩けそうな気がする。ACアダプターを持ち歩けばバッテリー対策は何とかなるだろう。

 いいアイテムを授かったが、さて、何を撮るか。それが決まっていない。
 もう少しすれば一定程度は余暇時間を確保できることが想定されるので、そのときまでには使い道を見つけておきたいと思っている。

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