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 「みなと史跡公園」は、説明書きによれば次のとおり。
 江戸時代のはじめ、佐渡金山の隆盛につれて諸国から物や人の流入が盛んになると、越佐間の最短距離にある赤泊港は、佐渡奉行の上陸港とされたり、出入りの船を改める御番所が設けられるなど、大いに賑わいました。
 また小木港とともに、北海道や日本海沿岸各地との交易をする北前船の寄港地として栄えた由緒ある港町です。
 平成元年に運輸省が全国8港に指定した「歴史的港湾」に選ばれこの公園が造られました。
 いにしえの港に思いをはせながら、ゆっくりとおくつろぎください。
  事業名  歴史的港湾環境創造事業
  実施年度 平成元年度~平成3年度
  公園面積 2,000㎡
  平成4年3月

 で、その復元された「赤泊御番所」が写真。白壁のこんな立派な御番所なんてありえねーと思ってしまいましたが、まあ、復元なので。
 写真に写っている時代劇でよく見かけるような御触書様の看板(左手)には、次のように書かれていました。

赤泊御番所
 江戸時代の初め、相川金山の隆昌につれて諸国から人や物資の流入が盛んになると、佐渡奉行は相川、小木、赤泊などの港に番所を置いて船の出入りを改めさせた。
 積み下ろす貨物に税を課し、旅人を監視するなどが主な役目で、番所役人のほか地元の問屋衆五人問屋が交代でこの補佐にあたった。
 今の税関のようなもので、土地の人々はこれを御番所と呼んだ。
 当時の御番所は、ここから50メートル、現在の外内商店のあたりにあったといわれている。

 ほほう。外内商店って、コーラを買って飲んだところ?
 あとで調べてみるとそうではなく、道路を挟んでその西向かいにあるかなり古い木造の建物のことでした。
 これが外内商店。(googleから 2012年9月現在) これって現役の商店なのだろうか?

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 復元された番所の手前には「田辺九郎平と港の改修」についての説明板があったので、それも以下に移記しておきます。

田辺九郎平と港の改修
 天保2年(1831)赤泊の小農の家に生まれた田辺九郎平は、19歳のとき北海道江差の商家に奉公し、永年の刻苦勉励の末、ニシン漁への投資などで巨額の富を築いた。
 50歳のとき帰郷し、北海道や対岸地域との交易交流のため、港湾の改修こそ郷土発展の根幹との信念から、私財を投じて赤泊港の修築を行うことを決断した。
 明治20年6月に着工した長さ100mの石積の防波堤は、3年後の23年に完成した。
 この経費6千円(平成4年現在の約5千万円)はすべて翁の私費で賄われたが、これにより船舶の出入りも増し、村民は多くの恩恵をうけた。
 現在の赤泊港の発展の基礎は実に田辺翁の力によって築かれたのである。

 スバラシイ!
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