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 牛尾神社から県道65号を両津方面へと進み、道の駅にもなっているという「佐渡能楽の里」に寄ってみました。ここでは、ハイテクロボットによる演能が本格的舞台で常時上演され、人間そっくりの精巧な動きを見せてくれる――というので寄ったのですが、広い駐車場だけど車はなし。やっているのかな、ココ。
 まあいいやと諦め、むしろその向かいにある長い白壁が気になったのでそちらのほうに行くと。

 そこは、「佐渡本間家能舞台」なのでした。
 事前チェックはなし。あとで確認すると、使っていた地図のコピーが一部印刷不明瞭になっていて、ちょうどそこに字がつぶれた形で「佐渡本間家能舞台」とかろうじて記載されていたのでした。おおっ、大事な場所を見逃すところだったじゃないか。

 ふつうの民家のような佇まいで、入っていくのが「侵入」のようで気が引けます。
 入り口にあった説明板を移記。

佐渡本間家能舞台
 明治18年(1885)に再建された能舞台で、江戸時代より代々能太夫を受け継ぐ本間家が所有しています。
 舞台は寄棟造桟瓦葺(よせむねづくりさんかわらぶき)で、本舞台と後座からなり、鏡板には松の絵、天井には演目「道成寺」で使用する鐘穴があります。また、舞台床下には音を反響させる甕が据えてあり、計算された舞台の配置ともあいまって音響効果を高めています。さらに地謡座、鏡の間(住居内)も常設され、橋掛りは複式で裏通路が附属しています。
 本間能太夫を家元とする佐渡宝生流が本拠としてきた本格能舞台であり、毎年7月下旬には定例能が上演されます。

 古い門の前には「賜天覧 能舞台跡」の標柱が立ち、その脇には以下のような説明書きも。

天覧能演能跡
 天皇陛下(昭和天皇)は、昭和39年佐渡行幸をされ、佐渡能楽倶楽部一門は、当所に於いて能「鶴亀」の天覧を賜った。

 ふーん、そういうことなんだ。
 で、門をくぐってすすめば、左手に「宝生流佐渡能楽倶楽部」の看板がかかる建物があり、その右奥に能舞台がドン。残念ながら舞台は閉ざされていて見えません。そしてさらにその右手前には「御能見所」の小さな建物。
 御能見所の入口には次のような説明板がありました。

新潟県指定有形民俗文化財 佐渡本間家能舞台
 本間家は戦国時代当地にあった城主の家柄とも伝えられ、戦乱の難を逃れた本間家の末裔秀信は寛永18年(1641)奈良で能楽を修めて帰着。慶安年中には佐渡奉行所より能太夫を委嘱され、爾来今日まで佐渡における宝生流能楽の中心となっている。
 能舞台は明治18年に再建されたと言われ、舞台建築には禅宗の影響を受けた唐様建築の扇垂木手法が用いられ、床下には音響効果を高めるため瀬戸産の甕が一対埋められていることなどもこの舞台の大きな特色であろう。
 明治維新により幕府の庇護を失った能楽界の余波はこの舞台の建築にも及び、鏡板などの材質が極度に落ちていることなどからも当時の能楽界のありようがうかがえる。
 昭和46年に両津市文化財、平成9年には新潟県有形民俗文化財の指定を受けた。
  新潟県教育委員会・佐渡市教育委員会

 おーし、見た見た。佐渡ではいくつの能舞台を見たのだろうか。
 にわか能楽ファンにはわからないことだらけだったけど、能楽が佐渡の地にいかに根付いているかを感じ取ることができました。
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