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 で、その八幡若宮神社の境内には、佐渡出身の思想家北一輝と、その弟であり政治家でもあった北昤吉の碑がありました。

 碑は、ご覧のとおりくたびれが目立ってきた感じ。ブロンズでできた顔かたちも変わり果ててなんだか怖い感じがしないでもありません。
 碑の裏には2枚の説明板。カタカナを平仮名に、旧字体漢字を現代記載に、それぞれ変えて移記しておきます。

 北一輝先生は、明治の当地が生んだ偉大な鬼才である。由来佐渡は国家と信仰とのために戦った幾多の革命的人物流謫の地であるが、特に順徳上皇と日蓮上人の英魂が先生の心霊に深甚な化を及ぼした感が深い。
 先生に於いて順逆に門無く大道一源に通じた。その一源は天皇と法華経であり、大地震裂し無量の菩薩摩訶薩湧出する革命を期して殺身供養したと称することが出来る。
 昭和11年8月19日 時に年55
 昭和44秊(ねん)5月吉日 安岡正篤 撰書

 雄渾なる佐渡の天地は一代の哲学者北昤吉先生を産む。
 先生学博く、識高く、達文雄弁、能く一世を指導す。半生を政界に投じ、その理想とする昭和維新の実現に渾身の情熱を傾く。
 偶々大東亜戦争勃発戦とするや所信に従い敢然これを阻止せんとして成らず、遂に祖国の大敗を見る。満腹の経綸空しく一場の夢と化し蕭條としてその晩年を了れり。然れども此の偉大なる先覚の心述はまた以て不朽と謂うべし。
 予先生の門下に在って其の薫陶を受くること多年、茲に無量の感慨を以て此記を作る。
 昭和44年5月 高杉晋一 撰并書

 とまあ、なにやら難しいのだけど、つまりはこういうことらしい。
 二・二六事件の理論的指導者として有名な北一輝は、1883年、湊町で酒造業を営む北家に生まれた。父は初代の両津町長となった北慶太郎である。また、2歳下の弟吟吉は、後に衆議院議員となった。
 夷の若林朔汀に漢学を習った一輝は、佐渡中学校(現佐渡高校)で飛び進級するほどの秀才だった。しかし、眼病や読書へ熱中のため、3年後に退学。その後上京し、社会主義思想に傾倒して中国に渡る。1916年、「日本改造法案大綱」を著し、帰国後は陸軍青年将校に信奉された。1936年の二・二六事件には直接関係していなかった一輝だったが、思想的な指導者と見なされて逮捕され、翌年死刑となった。

 北一輝って佐渡島の出身だったとは知りませんでした。
 ちなみに、安岡正篤(やすおかまさひろ、1898~1983)は、陽明学者・思想家。また、高杉晋一(たかすぎしんいち、1892~1978は、三菱電機の社長・会長などを歴任した実業家です。

 ついでに書いておくと、「北一輝・北昤吉碑」の側にはひとつの「五輪の塔」が。
 NPO法人みなと昭和館が立てた説明板によれば、この五輪の塔は、荘勝人という蒋介石の片腕だった人物が日本に亡命した際、北一輝らが匿った縁で、荘が北家に贈ったもの。
 塔は時代を経て北家から丹波哲郎家へ移されていたが、佐渡へ帰したほうがよいとなって、2011年に東京から運ばれてきたものだとのことでした。
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