最上三十三観音めぐりの9か所めは、尾花沢上ノ畑の「宝沢山薬師寺」。
 銀山温泉の手前の集落で、寺は通り沿いの右側にあります。もとは温泉街の裏山にあったのだそうです。
 見上げるような位置にある、背の高い立派な山門。
 その左手にある駐車場に車を停めて、まずは山門を潜りましょう。

 あるHPによれば、本尊は聖観世音で、慈覚大師の作。
 出羽国の国境に位置するこの地は、当時交通がよく発達していなかったが、道路が開かれたことで土地の豪族高橋信濃が、旅人の安全を祈るため観音を安置したのが始まり。
 その昔、山中の道路の側に建てられたというが、度々の火災のため、貴重な資料や宝物は何一つ残っていない。
 その頃は、観音堂の下にある東源寺という禅宗の小寺が観音堂を管理していたが、その後住職が不在に。
 安政年間、この村の薬師寺の長老、勇岳が東源寺に来て復興に力を入れ、面目を新たにした。しかしその翌年、また火事のため建物は灰になった。この時高橋善左衛門が猛火の中から仏像を取り出し、自宅の土蔵の中に移した。善左衛門は、信濃の子孫であり、たいへん信心深い人だったので、独力で再建したという。
 この辺は交通上の要地で、維新前は大名たちの往復の宿駅でもあった。高橋家は準本陣格であり、祖先以来、観音に奉仕している。上の畑は、奥州街道の軽井沢越と呼ばれ、昔は幕府の関所も置かれていた。
 延沢銀山は、加賀金沢の儀賀市郎左衛門により発見されたとか、慶長のころ泉州堺の十兵衛によって開発されたといわれている。銀の採鉱は200年にわたって行われたが、幕末のころは衰退し、現在では銀坑跡が「おもかげ園」と称して市の文化財になり、焼き掘という採鉱方法の跡や、大坑道、抗夫の住居跡などが保存され、縁結びの岩薬師が安置してある。
 ――とのことです。

 山門を潜って左手に、観音堂がありました。

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