鮭川村庭月の最上三十三観音の第33番札所、庭月観音に行ってきました。最上三十三観音中、わが家から最も遠いところに位置する札所です。
 ナビに住所を入力すると、「79分ぐらいかかります」とのこと。ぎょえっ、そんなに遠いのか?
 ではまあ、今日の巡礼はこの地だけにとどめて、最上町や大石田町にある札所はまた今度にしよう。



 近江の国、鯰江の城主、佐々木新太郎綱村が、出羽に国替となり、その姓を鮭延と改め、真室城を居城としたが、常日頃から観音を信仰し、近江から持参した本尊を城内に安置しました。本尊は、聖観音、慈覚大師の作だそう。
 ところが、家臣の庭月利左衛門広綱が、「観音は人々の苦しみを救う仏であるから、しかるべき霊地へ奉安し、広く一般の人々に礼拝させるようにしたらいかがなものか」と進言。
 それにより、鮭川の清流に沿った風光明媚な土地に本尊が移遷され、それ以来、庭月と呼ばれ、多くの信者を集めるようになったとのことです。

 鮭延氏が他国に移封され、庭月一族もそれに従ったことから、観音堂は一時荒廃を極め、見る影もなくなってしまいます。そこで、戸沢侯自らの発願により、信徒から寄付を募り、寛文11年(1671)、現在地に移転されます。
 落慶法要は延宝4年(1676)7月、円満寺住職、尊純法印を願主にして、盛大な法要が執行されたそうです。
 工事費は金80両、米60俵、戸沢侯よりは米20石の寄進がなされています。
 また、尊純法印の発願により阿弥陀堂が建立された。
 その後、蓮雄法印が弘化年間に再びお堂の建立を計画し、嘉永5年8月に落慶したのが、現在のお堂です。

 庭月の境内に入ると、まず「おかげ様門」をくぐります。我々は数え切れない程の「恩恵」を受けて生かしていただいていることに気づきなさい、ということのよう。おお、えぇ天気やおまへんか。

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 その先に巡礼堂、本堂があって、「厄除け縄文水」というものも。
 説明書きを以下に移記。

もがみ名水50選 第33番  厄除け縄文水(滝不動)
 一口飲めば観音様の慈悲が授かるご利益水。
 ここから堂の沢を300mさかのぼった観音堂の下から太古より湧き出す霊水であり、当山では今でも生活用水として利用している。
 この命の水を汚すと罰があたるといわれ、あたりにはストーンサークルなど神秘的な縄文遺跡が見られる。
 どうぞ、合掌し、さわやかにお使いください。


 むむっ、撮影に気を取られて飲んでこなかったのが悔やまれます。
 厄除け縄文水の分かれ道から右に進み、その先にある仁王門をくぐり、石段を登り切ったところに、観音堂を正面にして右側に鐘楼、阿弥陀堂、光姫塚、百観音堂や記念碑などが建立されています。
 手入れが行き届いていてなかなか立派な境内です。あちらこちらに説明版があって理解が進むのもいいと思います。

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