R287を長井から北進し、フラワー長井線蚕桑駅へと西進する道沿いの平場に観音堂がありました。

 本尊は聖観世音菩薩で、寛永5年(1628)、開村した広野村に米沢の法音寺から奉納されたものとのこと。当初はこの地にあったという長楽寺に安置されていましたが、宝永2年(1705)に観音堂が創建され、観音堂に祀られるようになりました。
 ここもまた、毎年8月15、16日には観音例祭が行われ、獅子舞が披露されるそうです。
 「納札(おさめふだ)は、貼らずに下の箱の中にお入れください」との貼り紙があるため、お堂への貼り札は一切なく、すっきりとしています。

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 お堂の傍には、「新野和泉の墓」というものがありました。いずれも古い石碑なのでどれがその墓なのか判然としませんが、その右隣りには「新野和泉碑」もあり、これには説明版が添えられているので多少は理解できます。
 その碑の記載は次のとおり。

広野観音堂と新野和泉碑
 観音堂は宝永2年(1705)の造立、本尊は正観音。
 当地は、廃寺になった真言宗長楽寺の境内であった。
 新野和泉は、諏訪堰の開削で功績のあった人で、この石碑は大正8年に建てられた。

 調べてみると、慶長10年(1605)、新野和泉らが中心となって、最上川から当地に水を引き込む「諏訪堰」が計画され、広大な新田開発が進みます。それに伴い、寛永年間(1624~1645)に広野村が開村、信仰の中心として長楽寺が開山されたもののようです。
 長楽寺は廃寺となりましたが、観音堂は引き続き広野村の住民から信仰の対象となり、特に手の病気や怪我に御利益があるとして、本尊の腕に白い包帯や布を巻き着けるようになったとされています。

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