続いては、最上町若宮地内にある太郎田・慈雲山明学院です。
 R47から細い路地を入っていくと、目の前に赤い屋根を帽子にしたような小さな社殿と石段が見えてきます。ありゃりゃ、この先ではUターンができるのだろうか?!
 参拝者用の駐車場はR47沿いに数台分あり、それを見逃してしまったわけですが、社殿に向かって左手の狭くて急な坂を強引に登っていくと、ちょっとした広場があり、そこでなんとか切り返しができるのでした。

 この日既に見てきた2つの寺と異なり、小さな観音堂が一つだけのミニチュアのような寺院でした。
 背景の杉林の緑と青空がきれい。それと赤い屋根だものなあ。
 石段を登っていくと、右手にわりと新しい石造りの香炉があります。「ペットの納骨、回向、その他ご祈祷、随時受け賜ります。 慈雲山明学院」とのことでした。
 観音堂の壁一面にはお札がぺたぺたと貼られていて、いかにも札所といった感じでした。

 本尊は十一面観世音で、慈覚大師の作。
 この地はその昔、一帯が見渡す限り泥海のようだったが、最上川流域の開拓によって原野となり、部落が作られていきました。その未開の頃に、伊豆の国の伊豆三郎という者が移り住み、狩りや漁をして生活していました。三郎は、諸国行脚で当地を訪れた安芸の国の田沢内匠之助という人と知り合いになり、二人で相談して、原野を開墾して耕地にすることにしました。
 泥水が退いたあとは、広い土地で地味も豊かでしたが、住む人は少なく、また進んで開拓に当たろうとする者もいませんでした。三郎と内匠之助はたとえ自分たちだけでも目的を達しようと、仕事を進めていきました。
 ある朝、二人で土地を検分していると、草むらの中から一羽の白鷺が飛び立ちました。びっくりしてその辺を調べてみると、観音像が立っているではありませんか。二人はそれを大切に家に持ち帰り、安置しました。また、尊像のあった場所は、自然に泥がとけて苗代のようになり、試みに稲を植えたところ、見事に生育していきました。
 二人は、観音像の功徳であると一層信仰を深め、付近の人々もその徳を慕って集まってきました。内匠之助も家中の者を故郷から呼び寄せ、開拓に精を出しました。この辺一帯は、肥料を用いなくとも毎年豊作が続き、人々は観音の広大無辺なご利益に感謝しました。
 太郎田は初めて種を播いたところで、次郎田は次に開田したところであるといわれ、字名も太郎田前、北太郎田等、現在も残っています。
 ――とのことです。

スポンサーサイト
Secret