しばらくぶりの晴れとなった秋の週末に、置賜三十三観音のうち3カ所を巡ってきました。
 白鷹町には多くの巡礼個所がありますが、自分にとっては1回あたりせいぜい3カ所がいいところ。4カ所以上になると、どれがどれだったか混乱するし、それらについて一気に書くとなるとちょっとタイヘンなのです。
 そもそも自分にとっての三十三観音めぐりは、普段行くことのない集落に分け入ることが目的なので、数をこなせばいいというものでもないわけで。

 さて、白鷹町の、ここは滝野地内(?)にある仏坂観音。正確な住所がわからず、模式図のようなひとつの地図のみを頼りに行ってみました。狐越街道に至るこのあたりかと思しきところに赤い幟を発見。路肩に車を停めた上り口には次のような立札がありました。

仏坂観音堂
 置賜三十三観音霊場の20番が仏坂観音堂であり、本尊は馬頭観音である。
 頭頂部には馬頭をいただいた3つの顔、2つの腕の像に作られるのが一般的で、顔の表情ははげしい怒りをあらわした忿怒相である。
 救済の対象が人間とは限らず生をもった生き物に対する観音様の慈悲の心を象徴した姿でもある。
 旧7月10日の縁日には盛装の馬をつれた参詣人で賑わった。
 養蚕が盛んになると、養蚕の神としても信仰された。
 坂道や山道の路傍にある馬頭観音の石塔は事故で亡くした馬の供養に建てられた。
 各地区で女性の観音講が作られた。毎月17日の観音講では、観音様の掛け図をかけ御詠歌「のをすぎて やまぢにむかふ ほとけざか みねのうすぐも はるるけしきぞ」をあげ、念仏を唱えた。

 急なコンクリートづくりの坂では、本日初めての参詣者であろう自分をあちこちで蜘蛛の巣が迎え撃ちます。そこを上って行った山の中に、観音堂はひっそりと建っていました。
 観音堂の立っているところには次のような説明板も。

20番札所 仏坂観音
   本尊 馬頭観音菩薩
 観音堂のあるこの地は、山形へ通じる峠道の入り口に当たり、人馬の安全祈願のため、ここに馬頭観音が祀られたものと思われる。
 米沢事跡考によると、康永4年(1345)伊達行朝が観音堂を再興したとなっている。地区に残る平盛右エ門文書に、寛文5年(1665)に再建とあることから、観音堂は江戸時代以前からあったことは確かである。
 享和元年(1801)6月30日に最上騒動で堂宇を焼失し、同年12月に再建された。当時の御堂は、17尺四方の宝形造、3尺の縁が廻らされていた。(境内には礎石と凝灰岩製露盤が残存)
 この御堂は、昭和42年の豪雪で倒壊し、平成19年4月まで仮の御堂となっていた。
 平成18年、仏坂馬頭観音改築委員会が結成され、地区内外から浄財を集め、翌年に観音堂を新築し、平成19年(2007)8月8日、落慶法要が行われた。
  平成19年12月吉日

 置賜三十三観音の札所で馬頭観音を本尊として祀っているのは、ここと十番札所の宮の観音の2か所だけなのだそうです。

スポンサーサイト
Secret