mogami33-27-1.jpg

 先の「川前」から深堀方面に戻り、その道路沿い、豊田地区にある「深堀観音堂」へ。
 村の古びた観音堂といった佇まいです。道路からの入り口には「最上第廿七番深堀観音堂」の石柱。そしてその奥には赤い鳥居。寺に鳥居?と思いましたが、ここも川前と同様「観音堂」。ある程度の神仏混淆は当たり前ということなのでしょうか。

 本尊は聖観世音、聖徳太子の作。
 昔、都に安戸見一尾という人がこの尊像を持っていましたが、その子孫が没落し、比叡山に奉納されていました。その後、安戸見の子孫である川辺市正という武士が、須磨寺から貰い受けて守護仏とします。
 さらに長谷川盛易の手から大和の国橘寺へと納められ、続いて、大阪夏の陣の時、九鬼一之進がこれを頂いて戦場に出ます。九鬼はこの仏を松永弾正に譲ったが、松永家は数代の後に浪人となり、奥州白河に住みます。その子孫が山形市外の古館に住み、尊像は古舘の大竜寺に安置されます。
 先に深堀にあった観音像が何者かに盗み去られ、村人は適当な仏像を探し求めていましたが、正徳6年(1716)、大石田の立光庵の海存坊が、大竜寺にある尊像を譲り受けます。
 それから明治維新となり、神仏混淆を禁じられたため、明治11年(1878)、観音は村民の手に移り交代で管理することになりました。

 むむむ、ずいぶんと転戦をしてきた観音様なのですね。
 また、ここの尊像は天井裏板の上に安置されているそうで、屋根の取り換え工事のときでなければ開帳されないことになっています。
 そして、現在のお堂は元文元年(1736)につくられたものだとのことです。

 観音堂の周囲には、庚申塔や馬頭観音の石碑などが随所に。
 また、観音堂の裏のほうにも行ってみましたが、この地域らしく農地には蕎麦の白い花が満開でした。


スポンサーサイト
Secret