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 大石田町の町なかにある29番札所「大石田(石水山西光寺)」にやってきました。
 新そばまつりをやっていて、一部の道路が通れなくなっていました。狭い道を通って門前まで来ると、山門、そして本堂の一部にはブルーシートがめぐらされており、一足早い冬支度といったところ。いったいどうしたというのでしょう。
 ブルーシート越しに2体の仁王様を見ることができたので、それを載せておくことにします。

 昔は、現在の西光寺より西方一町ぐらいのところに立光庵という尼寺があり、そこが観音の別当として奉仕していましたが、その尼寺が廃寺となったので、西光寺に移されたそうです。
 たしかな記録がないようですが、一説によると、大石田町の細川甚兵衛なる温厚で実直な性質の者が平素から観音を信仰していたそうです。
 その子孫の仙大という者が、最上川に釣りに行ったとき、大宇川の内という所で、川の中に突き出ている大きな理れ木があるので、これに腰をかけて糸を垂れていると、波の間からまぶしく光るものを発見。不思議に思って釣竿で寄せてみると、聖観世音の尊像でした。
 これは、父が日頃から観音を信仰しているからであろうと、大切に家に持ち帰り、安置してみましたが、貧乏なため狭く汚いので、これでは勿体ないと、西光寺に運び安置したともいわれています。
 寛文10年(1670)、最上川に巨大な木材が浮かび上がりました。ちょうど観音堂を建てようとしていた時なので、町の人が寄附を集めて西光寺の境内にお堂を建てました。
 明治3年7月、町の大火のために延焼。現在のお堂は明治5年に再建されたもので、境内の仁王門の仁王像は慶応3年(1867)、大石田の彫刻家柴川文蔵が、東京浅草の仁王に似せて彫刻したものであるとのことです。

 この寺は、山形にはめずらしい時宗の寺のようでした。

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