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 北村山の巡礼個所の最後を飾るのは、21番札所の「五十沢(如金山喜覚寺)」です。
 R13から東に入って深い沢をしばらく進んだところに五十沢(いさざわ)集落がありました。長い間山形に住んでいるけれども、この集落に入り込んだのは初めてのこと。これも観音様巡りをしたからこそなのでしょう。
 資料にある住所地には寺があるものの、観音堂はもう少し先のよう。もうしばらく車で走っていくと、左手にいつもの赤い旗が立っていました。

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 道沿いにある赤い鳥居の先にはまたしても一直線の長い石段が見えます。石段の手前には何本かの杖が用意されているあたりはなかなか親切かもしれません。途中までは緩やかですが中ほどから登りがきつくなり、加えて石段の幅が狭いのでやたらと歩きづらいです。

 上って行った先は、1対の石灯篭と素っ気ない観音堂があるだけの幽玄かつシンプルな佇まい。案内板のようなものもなく、したがってとりたてて語るべきことはない、というのが本当のところです。



 昔、加賀の国の大名金森家は、戦国時代になって、当時の領主・金森石見守が戦いに敗れ、老臣森又右衛門、加藤惣四郎などを従えて、加賀の国から出羽の国に逃れてきました。彼らは五十沢に住みついて郷士となりましたが、余りにも浮き沈みの多い世の有様に悲観し、菩提心をおこして、持ってきた観音像を祀ってお勤めしていました。
 石見守は、慶長19年(1614)、東本願寺に弟子入りして金森山喜覚寺を開山し、金森山の中腹にお堂を建てて観音像を安置し、村人の参詣を認めました。
 人々は、この観音を布引観音と呼んでいますが、昔からこのお堂の下を通るときには必ず馬からおり、手綱を引いて通るようにしていました。その手綱が、布で作ってあったから「布引き」というのだとのことです。
 元禄年間(1688~1704)、ここも山火事のためお堂は焼けましたが、仏像は住職が猛火の中から取り出し、暫くは喜覚寺の内に安置したとのことです。

 さて、2017年春から巡り始めた最上三十三観音は、ここまでで番外を含めて23箇所を見てきました。これから冬がやってくるので、残りの11箇所は、平場の札所のいくつかを除き、来年の春以降に巡りたいと考えています。

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