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 前回、今年の三十三観音めぐりは終わりと書いたのですが、11月3日の文化の日がとてもいい天気だったので、もうひとめぐりしようと、河北町の18番札所の「岩木」に行ってきました。
 河北町の西側の山手の中腹、落ち葉の中にひっそりと存在していました。

 入り口の状況はご覧のとおり。山門の左右が藁で巻かれており、冬の準備はもうできているようです。その先の本堂も、しっかりとした横木やネットのようなもので雪囲いされており、写真を撮ってもちっとも絵になりません。その脇にあった地蔵堂もこんな感じでした。
 こうなると、天気はよくても見るには楽しくなく、やはり今年の観音めぐりはこれまでだなと思ったところです。

 本尊は聖観音で、運慶の作。
 語り伝えによると、諸国を行脚していた老僧が、この本尊を捧じてこの地を巡り、岩木山腹に仏像を置き去りにして姿を消します。
 尊像は、いばらの間に埋もれたまま雨露にさらされていましたが、ある日のこと土地の木こりが薪を背負って山を下る途中、道ばたの薮の中から何か光るものがあるので、不思議に思って近づいてみると、観音の木像でした。
 木こりはこれを持ち帰り、毎日お参りをしていました。彼はこうして仏像を手にすることができたのは何か仏の導きに違いないと、嘉慶元年(1387)、頭を丸めて仏門に入ります。そして、教円坊と名を改め、慈眼院を開き、岩木山腹の浄地を選んでお堂を作り観音像を安置しました。
 この木こりの本名や、教円坊の後半生について記録するものは何も残っていないそうです。

 享保元年(1716)に山火事があり、建物は灰になってしまいますが、仏像は火災の後に、観音堂前の田んぼの中から何の損傷もなく発見されます。そのことで村人の信仰は一層深くなりました。
 お堂の再建は直ちに進められ、翌年には完成。
 この地方には蒲は生えないといわれていましたが、仏像が着ていた蒲の衣が損じたとき、自然と蒲が生え、それを取って衣を着せたといいます。

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