南陽市宮内の熊野神社と双松公園の近くだというアバウトな地図を頼りに行きましたが、なかなか見当たらず。グーグルマップで探すと、ナント!そのずっと山奥じゃん。
 車ですれ違いができない細道を山手のほうにかなり上って、熊でも出るのではないかと思うような場所に、長谷観音はありました。実際、熊よけと思われる破裂音が時折響き渡っています。

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 しかしそんな場所にあるにしては立派な観音堂です。
 慈覚大師が熊野権現に参詣したところ、荒廃した社殿を再興させようと自作の聖観世音像を安置したとされています。
 宮内の領主・大津土佐守本次が飛騨の工匠に造らせたお堂は精緻を極め、匠堂と言われたのだそう。
 本尊の聖観世音菩薩立像は現在のお堂が再建された際に、奈良時代の高僧・行基が作像したと伝えられています。

 写真右手に見えるのは、須藤永次翁のレリーフ。宮内生まれで吉野石膏株式会社社長となり、宮内の発展に尽くした人物です。

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 寄り道した熊野大社。
 大同元年(806)、平城天皇の勅命により再建されたと伝えられています。
 歴代の領主である伊達氏・最上氏・上杉氏の崇敬を受け、社領の寄進や社殿の整備が行われました。神仏習合の時代には、熊野三山と同じ証誠寺の寺号を称することを許され、熊野修験の一大霊場として栄えました。

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